BIOGRAPHY
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Otis Redding

みなさまは Johnny Jenkins をご存知でしょうか?
1939年、Georgia 州 Macon で生まれ、Swift Creek と呼ばれるド田舎地帯でもっぱらバッテリーを電源とする Portable Radio(つまり、電気も引かれてないイナカっつーことでしょか?)でブルースや初期の R&B、アーティストとしては Bill Doggett や Bullmoose Jackson などを聴いて育った、という彼は 9才の時、ご他聞に洩れず、シガー・ボックスとゴム・バンドでギターを自作したのですが、(元々左利きなのか、それとも偶然そーなっただけかは資料からは判りませんでした)普通とは逆の左向きに持ち始めたようで、それは姉からホントのギターを買ってもらった後もそのままだったようです。
その Johnny Jenkins が 1962年に Atlantic のために STAX のスタジオに現れました。
Georgia 州のローカルな放送局に出演していた Johnny Jenkins を最初に認めたのは、後に Macon で Capricorn Records を設立することになる Phil Walden かもしれません。
彼は Johnny Jenkins とそのバンド the Pinetoppers のブッキングも手がけるようになっています。
そして Phil Walden は自分の兄弟の Alan Walden とともにプロダクションのようなものを共同経営し、かつ Gerald というマイナー・レーベルの所有者でもあった Atlantic の南部担当の A&R マン Joe Galkin をつかまえ、なんとか STAX のスタジオで Johnny Jenkins と the Pinetoppers のインスト・ナンバー Love Twist を吹込ませることに成功したのでした(事実、この Love Twist はその Gerald からリリースされているようです)。
ただしその日の Johnny Jenkins はあまり調子が良くなかったのか、これはダメだ、ということで見切りをつけた時点で、およそ 30分以上の余裕が出来たので、( Jim Stewart の回顧によれば)この吹き込みに立ち会っていた A&R マンの Joe Galkin は、Johnny Jenkins 一行の車を運転してきて、スタジオまでバンドの機材を運び、まるでローディのように見えたシャイで物静かな男、どうやら Johnny Jenkins のバンド the Pinetoppers のヴォーカリストで、お抱え運転手でもあった男に、「時間あるからキミも歌ってみる?」てなことを言ったんでしょか?男は、それじゃあ、ってんで自作の曲を出してきました。そしてレコーディング・・・

その曲こそは、いまだにその時のオリジナルを超えるカヴァーが(おそらく、これからも永久に)存在しないであろう名曲、名唱となったのです。

この両腕の寂しさ、哀しみ
この両腕の憧れ、お前に憧れて
もし、この両腕でお前を抱きしめることが出来るなら、その歓びはいかばかりか・・・

(原詞 http://www.lyricsdepot.com/otis-redding/these-arms-of-mine.html )

These Arms Of Mine、歌ったのは Otis Redding。21才の、まさに新しい才能が「シーン」に登場した瞬間でした。
この曲は 1962年の 10月に STAX の R&B のサブ・レーベルたる Volt からリリースされ、翌1963年の 3月にはチャート・インしています。
ただし、この曲は Otis Redding の初レコーディングではなかったようで、それは 1960年の 7月、Otis and The Shooters.という名義で行われ、She's All Right という曲が録音されていますが、実質的には Johnny Jenkins の the Pinetoppers そのものだったようです。
また、厳密に言えば、実は These Arms of Mine は、Otis Redding にとっての STAX での初レコーディングでもありませんでした。
実際にはその前の Pinetoppers の録音が不調に終り( Jim Stewart によると)バンドが機材を片付け始めてから Joe Galkin が、ちょっと彼にも歌わせてみよう、と言い出したとき、ピアノがもういなかったため、ギタリストでピアノなんて弾けない、という Steve Cropper をピアノに座らせてムリヤリ録音したのが Hey Hey Baby。
そ!栄光の Volt 103、These Arms of Mine のカップリングとなった曲だったのですが、それを聴いた Jim Stewart は「ダメだね、Little Richard そっくりじゃないか!Little Richard はひとりいれば充分だ!」という反応でした。
しかし Joe Galkin はさらに、バラードも歌うっていうからやらせてみようじゃないか、と・・・

どうやら、この Jim Stewart の証言を信じるとすると、Otis Redding が世に出るきっかけは、まったくもって、この Joe Galkin のインスピレーションによるものだったようです。
その後も Joe Galkin は Otis Redding のプロモーションに熱中し、周辺の放送局のスタジオにおしかけては、D.J.に対し、「このシングルをかけろ!今すぐかけろ!でないと、ウチ( Atlantic )が無償で提供してた全部のレコードを即座に引き揚げる!」と「脅し」をかけて歩いたそうですからスゴい!
Phil Walden が「オレが Otis Redding を世に出したんだ」などと吹聴しているようですが、この Joe Galkin が Jim Stewart を、そして Jerry Wexler や、その Phil Walden を説得したからこそ、そんなタワゴトも言っていられるんだ、ということをお忘れなく。
いやはや、いつの世にもこういう、なんでも自分の手柄にしちゃう手合いは絶えないものですなあ。

ところで、実はそのせっかくの(?) Jim Stewart の回想に水を差すよな証言もありまして、当初、Hey Hey Baby が A-side だったものが Nashville の D.J.だった "John R." Richbourg のアドヴァイス、「これは B面の曲の方が売れるぞ」の進言を受けて戦略を転換した、という Carol Cooper の記述も存在するんですねえ。



Otis Redding(パスポートの記載では Otis Ray Redding Jr.)は 1941年の 9月 9日、Georgia 州の州都 Atlanta からおよそ 200km南、State Highway 520 沿いの Dawson で生まれました。
彼が 5才の時に家族は Macon の the Tindal Heights Housing Project という(おそらくは、低所得者層のための供給住宅ではないかと思われますが)住宅地区に移っています。
彼の父は Robbins 空軍基地で働き、週末には the Vineville Baptist Church の牧師(キリスト教の各宗派における呼称の区別には詳しくないので、あるいは司祭、神父、などの方がふさわしいのかも?原資料でも preacher と minister の両方が使われてます)でもあったようです。
Otis はその教会の聖歌隊で歌い始めました。ただ、彼の少年時代、父は病に臥せっていたようですが。

その後 Bellevue という Macon 西郊の土地に掘っ立小屋みたいな家を建ててしばらく暮らしていますが、そこが火事で燃えてしまったため、ふたたび Tindal Heights に戻っています。
Ballad Hudson High School の第10学年で(日本でいう高 1かな?)おそらく家計を助けるためにドロップ・アウトして Little Richard のバンド the Upsetters で働き(ある資料では、彼のステージ・ネームを Rockhouse Redding であった、と。ローディーや兼ドライヴァーあたりだったのでしょか?当時の写真では他のメンバーは楽器を手にしているなか、彼はマイク・スタンドを手にポーズをつけているものがあります)家には週 25ドルを送っていました。
また、当時 Gladys Williams(このひとについてはよく判りません。地方の名士でしょか?お名前からすると女性のようですが)が主催していた Sunday night talent show(それが正式名称ではなさそうですが、賞金は 5ドルでした)では 15週連続で勝ち抜き、それ以上の出場を断られたのだとか。
このころのエピソードと思われるのですが、近所で「 Plantation Inn 」という(この Plantation Inn に関しては、当時の南部にあっては「一般名詞」だったのかもしれませんが、手持ちの辞書では該当する一般名詞としては発見できなかったため、一応、固有名詞扱いとしておきますが、案外プランテーションに付随する簡易な宿の総称かもしれません)周辺住民に開放されたサロンを持っていた Claude Sims という人物は、15才の Otis Redding から相談を受けているようです。
数々のアマチュア・コンテストや、アマチュアを出演させるショーなどに出まくっていた Otis も、それが結局はさほど金にはならず(賞金やギャラはゼロか、あっても僅かだったみたい)さほど生活の助けとはならないことに苛立ち、彼のサロンで毎週、金曜の夜にパフォーマンスをさせて欲しい、という申し出でした。
Sims はこれを了承し、これによって Otis Redding はそれまでのような一出演者ではなく、「自分のショー」を持つことが出来て、さらにスキルをアップさせていったのかもしれません。

1959年には the Grand Duke Club で歌い始め、1960年からは Johnny Jenkins and The Pinetoppers にヴォーカルとして加わり、その地方では有名だった D.J.の Hamp Swain によって、土曜日の朝に the Roxy Theater(後には the Douglas Theatre に)で行われていた『 Teenage Party 』タレント・ショーに出演したほか、バンドで南部一帯をツアーし始めます。
1960年の 7月には前述の The Shooters ─ 実質はおそらく The Pinetoppers をバックに She's Alright(あるいは She's All Right )/ Tuff Enough を録音。これはシングル Trans World 6908 として 1960年10月にリリースされています。
続いては資料によって前後を逆にしているものもあるのですが、一応ここでは同じ 1960年 7月の録音ではないか?という推論を信じて Shout Bamalama ではなく Alshire 5082 としてリリースされた(ただしリリースのデイトが不明) Gettin' Hip / Gamma Lama、そして同じ 1960ではないか?とされる The Pinetoppers をバックとした Shout Bamalama / Fat Girl をレコーディング。この録音は Confederate 135として 1960年中にリリースされたようですが、同じマスターにオーヴァー・ダビングしたものが 1964年に Bethlehem 3083として、また 1968年には King 6149として再発されています。

なお、彼が妻の Zelma Atwood に出合ったのが 1959年で、結婚は 1961年の 8月でした。
この夫婦の間には三人の子供が生まれ、Dexter、Karla、Otis III そして実はもうひとり、Demetria がいるのですが、この次女は Otis の死後に養子となったものです。

1962年のこの These Arms Of Mine は Johnny Jenkins and The Pinetoppers のセッティングをそのまま流用したものだったようですが、それが R&B の大ヒットとなり、1961年に新設された STAX のセカンド・レーベル Volt を大いに潤したことにより、それ以降は STAX のハウス・バンドたる Booker T. and The MG's がフルにサポートをすることとなりました。
These Arms of Mine は Hey Hey Baby をカップリングとして STAX のサブ・レーベル Volt から、シングル Volt 103 として発売されました。この録音が彼の生活も、そして STAX というレコード会社の運命をも「変えた」と言ってよいのかもしれません。R&B チャート 20位、Pop チャート 85位を記録。

続いて 1963年 6月24日に録音された That's What My Heart Needs( Volt 109。R&B チャート 27位。カップリングは Mary's Little Lamb )は同年 6月に(という点に、録音から発売までの期間が「短すぎる」として録音の時日に疑問を呈する向きもおられます。確かにほぼ一週間ってのはちと短いですが、それ以外の準備がすべて整ったスタンバイ状態にあったとしたら「不可能ではない」とは言えるのですが・・・ )Volt 109としてリリースされています。
さらに同年 9月26日に録音、とされる Pain In My Heart( Volt 112。Pop チャート 61位。カップリングは Something Is Worrying Me)も、発売が 9月、という資料から考えれば、もしかしてそれって録音日時ではなく、リリースした日時じゃないのか?というギワクが当然のよに出てきます。
ただねえ、どーもコトはそうカンタンではないようで、話が進んでくにつれて、さらに驚愕の事実が・・・(ってのはちとオーヴァーですが)

Rhino の The Definitive Otis Redding Rhino R2 / R4 71439 に付属した(良く出来た)ブックレットによれば、次に録音されたのは 1964年の 1月16日、Security( Volt 117。Pop チャート 97位。カップリング; I Want to Thank You )で、しかしこのシングルは、その後の 1964年 2月 6日に録音された Come to Me( Volt 116。Pop チャート 69位。同 Don't Leave Me This Way )の 2月中の発売に先を越され、4月24日に発売となっています(ただし、記録上ではそのリリース日時を 1964年 1月 1日としている資料も散見され、そこら「きりのいい」とこで 1月 1日にしてしまったのかもしれません。現に、 Security「も」収録した彼にとっての初アルバム Atco 33-161 Pain In My Heart も 1964年 1月 1日リリースとアナウンスされており、そんなことタイム・マシンでも無きゃ「不可能」でしょう。この「 1月 1日」ですが、 Sly and the Family Stoneのアルバムでも遭遇し、他の資料と整合しないので困ったものでした。なお、アルバム Pain In My Heart にはシングルとしてはリリースされていないナンバーも収録されており、Stand By Me / You Send Me / I Need Your Lovin' / Louie Louie / Lucille の各曲についてはその録音日時などを示唆する資料がまだ発見できていません。なお、http://www.bsnpubs.com/によれば、当初のアルバムはモノラルだったものを 1968年の再発時にステレオ化した、とありました。また同サイトではそのリリースを 1965年としております)。

ところで、実際の録音がいつだったのかまったく記録が無く、しかもそれが収録されたアルバムがかなり後のものであるために、余計、その時期が判らない、ってものもあります。
その音から推測して 1963〜1964年あたりではないか、とされるのが Little Ol' Me と Don't Be Afraid of Love の 2曲で 1992年のアルバム Remember Me で始めて世に出ています。
そして、その Little Ol' Me までは(ただし That's What My Heart Needs を除く。また最初の She's All right と Gettin' Hip は不明)かっての彼の雇い主 Johnny Jenkins がバックでギターを弾いておりました(ってとっから逆算すると、Little Ol' Me もかなり早い時期、ということになります)。

続いてのシングルは 1964年 9月 9日に録音され、なんとこれまた一週間も経ってない 9月15日に発売された Chained and Bound( Volt 121。Pop チャートの 70位をマーク。カップリングは Your One and Only Man )で、きっちりした日付が残っているところを見ると、やはり、そんな短期間でリリースできる態勢が出来ていた、ってことでしょうか?後加工が多い現代では考えられないスピードですねえ(なんて言っていられるのも今のうち・・・)。
この 1964年にはもう一枚、Mr. Pitiful( Volt 124。R&B チャート 10位、Pop チャート 41位。カップリングは R&B 18位、Pop チャート 74位、というボス・サイド・ヒットとなった That's How Strong My Love Is )を 12月28日に録音して、12月30日には発売!!
もう、言うこともありませんね。二日でマスターからカッティングしてメタル・マスターを作り、そっからプレス・マザーを起こす。そしてスタンピング、っちゅう一連の流れを考えるとプレス・テスト盤くらいは作れるかもしんないけど、「発売!」なんて言うにゃあ市場に最低でも一定の量が供給されてる必要がありますよね?
とかく「XX日に発売、ってことにしとけ」っちゅう「いーかげん」な会社だったのか、あるいは「神業」でもって、たった二日で市場に出すことはおろか、なんと録音時日より「前に」市場に出すという「奇跡」まで起こせたんでしょか? STAX は・・・

明けて 1965年 1月20日には、後に The Great Otis Redding Sings Soul Ballads Volt 411として 1965年 3月にリリースされたアルバムに収録されることになる For Your Precious Love などのレコーディングを開始しています。
そのアルバムの収録曲は That's How Strong My Love Is / Chained and Bound / Woman, Lover, A Friend / Your One and Only Man / Nothing Can Change This Love / It's Too Late / For Your Precious Love / I Want to Thank You / Come to Me / Home In Your Heart / Keep Your Arms Around Me / Mr. Pitiful。
そしてその 4月19日には「あの」I've Been Loving You Too Long ( To Stop Now )が録音されました( Volt 45-126 ─ ここ以降、シングルはシリアルの前に 45-を、アルバムでは 33-を付して区別させていただきます。─ カップリングは I'm Depending On You )。R&B チャート 2位!Pop チャートでも 21位まで登った Otis Redding にとって生前の最大のヒットです。
続いて 7月 9日には、これまた R&B チャートでは 4位まで、Pop チャートでも 35位をマークした Respect( Volt 45-128。カップリングは 7月27日に録音される Ole Man Trouble )と、同じく R&B チャート 4位、Pop チャート 31位を記録した Satisfaction( Volt 45-132。カップリングは Any Ole Way )、さらに、こちらは後に Volt 45-149 として、1967年の 4月27日に、「ライヴ録音の」 Shake の B面としてリリースされることになる You Don't Miss Your Water も同じ日に録音されたようです(また、この日か、あるいは Ole Man Trouble と一緒か「?」ですが Cupid もこのあたり)。
さらに、シングルとしてリリースはされていませんが 1965年 9月15日にリリースされたアルバム Volt 33-412 Otis Redding Sings Soul に収録された Change Gonna Come / Down In the Valley / Shake( Shake ならシングルで出てるじゃん!とお思いの方もおられるでしょうが、シングルの Shake はライヴで、別な音源)もレコーディングされています。

まず 1962年に録音された These Arms of Mine が「本格的に」売れ始めた 1963年から、次々とチャート・インするヒット曲を連発したおかげで、発売元の STAX / Volt はモチロン、Otis Redding 本人にも「充分な」金額が届くようになり、それをもって 1965年に Otis は夢のひとつを実現しています。
それは生活することに追われ、苦しかった少年時代にはまさに適わぬ夢であった「自らの牧場を持つこと」、それを実現したのでした。

1965年、Round Oak に念願だった牧場を持ち、そこを Big "O" Ranch と名付ける・・・

ここでアルバムのシリアル・ナンバーに気がついた方はおられますでしょか?
Volt 33-411 → 412(実は次のアルバムも 413と)まったく連続しておりますでしょ?
間が開いてるのに、連続してる、ってことは、この時期の STAX、いえ、Volt に関しては、少なくともアルバム・セールスにおいてはほとんど Otis Redding「一本」だった、つーワケでございます。
ここで、具体的にどんだけ「依存してたか」、ひとつリストをば・・・

Volt 33-411 Otis Redding: Sings Soul Ballads
Volt 33-412 Otis Redding: Otis Blue / Sings Soul
Volt 33-413 Otis Redding: The Soul Album
Volt 33-414 Mad Lads: In Action
Volt 33-415 Otis Redding: Complete & Unbelievable 〜
Volt 33-416 Otis Redding: Live In Europe
Volt 33-417 Bar-kays: Soul Finger
Volt 33-418 Otis Redding: History of Otis Redding
Volt 33-419 Otis Redding: The Dock of the Bay

410番台の実に 9枚中 7枚が Otis Redding なんですねえ( Barkays ってのは Otis のバック・バンド)。

次のレコーディングは 1965年の 11月 5日で、I Can't Turn You Loose と Just One More Day( Volt 45-130 )。I Can't Turn You Loose は R&B チャートで 11位をマークし、カップリングの Just One More Day も R&B チャートの 15位、Pop チャートでは 85位という両面ヒットとなりました。
1966年になると、まず 5月 3日に My Lover's Prayer をレコーディング( Volt 45-136。R&B チャート 10位、Pop チャート 61位。カップリングは Don't Mess With Cupid )
そして 8月 2日には Good To Me / Cigarettes and Coffee / Chain Gang / It's Growing をレコーディングしていますが Good To Me 以外はシングルとしては発売されず、Volt 33-413 The Soul Album( 1966年 4月 1日発売ってことに「なっている」けど、モチロンんなワケはない)に収録されています。
その The Soul Album には他に Just One More Day / Nobody Knows You ( When You're Down And Out ) / Scratch My Back / Treat Her Right / Everybody Makes A Mistake / Any Ole Way / 634-5789 が収録されています。

Good To Me だけは 8月30日に録音された Fa-Fa-Fa-Fa-Fa ( Sad Song )の B-side にもなって Volt 45-138 として同年 9月 7日にリリースされています。
Fa-Fa-Fa-Fa-Fa ( Sad Song )は R&B チャート 12位、Pop チャート 29位にまで達しました。
あと、Rhino のブックレットでは、おそらくこのあたりの録音ではないか?としてるのが 1992年 4月19日にリリースされたアルバム、STAX 33-8572: Remember Me に収録された I'm Coming Home ですが、これをこの時期、と特定したコンキョは Rhino が提示していないため、なんとも・・・

9月13日には
I'm Sick Y'All : Volt 45-141/ 1966.11.14
Sweet Lorene : Volt 45-157/ 1968. 1. 8
Day Tripper
Try A Little Tenderness : Volt 45-141/ 1966.11.14

などが録音され、その前の Fa-Fa-Fa-Fa-Fa などと一緒にアルバム Complete & Unbelievable...The Oris Redding Dictionary of Soul っちゅうスゴいタイトルの Volt 33-415 として 10月15日にリリースされています。
その収録曲は上記以外に Tennesse Waltz / My Lover's Prayer / She Put the Hurt On Me / Ton of Joy / You're Still My Baby / Hawg For You / Love Have Mercy。
Try A Little Tenderness は R&B チャートの 4位、Pop チャートの 25位を記録しています。
他に Stone っちゅうワケ判らんレーベルから 1976年に Volt 側に「無断(?)」でシングルで出された You Left the Water Running と、こちらは STAX 33-8572: Remember Me に収録された Trick Or Treat の 2曲が 1966年の録音「らしい」のですが、そのデートは不明なようです。
また、"Things Go Better With Coke" でお馴染みのコカ・コーラの CMソング A Man and A Woman というのも吹込んでいるらしいのですが、Rhino の資料で見る限り、それは結局オン・エアされていないようなんですねえ。もしかすると、彼の不慮の死がその背景にはあったのかもしれませんが・・・

翌1967年の 1月18日と 19日にかけてレコーディングが行われ、そこでは
New Year's Resolution ( with Carla Thomas ) : STAX 45-244/ 1968. 1.24
Tramp ( with Carla Thomas ) : STAX 45-216/ 1967.4.13/ R&B-#2, Pop-#26
の 2曲が Carla Thomas とともに吹込まれ、そして Volt ではなく STAX からリリースされています( Tramp のカップリングは Tell It Like It Is。New Years〜については後述)。
続いて 1月20日以降は
Open the Door: Volt 45-163/ 1968. 4. 8 ( The Happy Song の B面となる)
Knock On Wood ( with Carla Thomas ) : STAX 45-228/ 1968. 7.28/ R&B-#8, Pop-#30
Lovey Dovey ( with Carla Thomas ) : STAX 45-244/ 1968. 1.24/ R&B-#21, Pop-#60
I Love You More Than Words Can Say : Volt 45-146/ 1967. 3.21/ R&B-#30, Pop-#78
Let Me Come On Home : Volt 45-146
─ つまり上の曲の side-B
などが録音されています。
ところで、Rhino の CD ボックス・セットの三枚目のアタマには 1967年に録音されたらしい Otis Redding のスピーチ(?)が収録されており、それは、自分が学校を中退していることから、学校に通うことの大切さを説き、ドロップ・アウトしないように、っちゅうものなんですねえ。
確かにどしても学校が肌に合わない、なんてんじゃなく、生活苦から通えなくなった身としては、いっそう学校教育の欠落がコタエたことでしょう。
事実、初期の Barkays では、まだ就学中のメンバーがおり、Otis は彼らがきちんと学業を「まっとう」できるよう、活動をその時間に合わせて融通し、「まるで彼らの父親のようだった( by Zelma Redding )」そうですから。
ここら、アメリカン・フットボールの精神(?)とも似通ったものを感じますね。
勉強なんて落第せん程度でいいから、っちゅーか、多少アタマ悪くても「いいタマを投げる」なんてピッチャーがいたら「推薦入学」で入れちゃう「どっかの国の野球の強い私立高校」なんかとは大違いで、チームのコーチは選手達に A クラスの成績を要求し、それが達成できなければレギュラー落ち、という「スポーツ馬鹿じゃない」メンバーでチームを構成していく・・・
いえね、日本もかくあるべきだ、なんて言う気はさらさらおまへん。
でも、そういう世界もあるんだ、ということは覚えといてもいいんじゃないでしょか。

ところで、この1967年の 2月には、なんと「次のクリスマス用に」 Merry Christmas, Baby と White Christmas の 2曲が録音されているんですねえ。
しかし・・・
この 2曲が A/B 面のカップリング・シングルとなった Atco 45-6631 は結局、1968年の 10月23日に発売されることとなったのでした。
そして、こちらは 2月13日、と日付もハッキリしてる録音で、
Glory of Love : Volt 45-152/ 1967. 6.30/ R&B-#19, Pop-#60
Tell the Truth : Atco 33-333/ 1970. 7. 1
Slippin' and Slidin' : Atco 33-333

などが録音され、それと同じ日付か、あるいは別な日か不明ですが(たぶん別?)

I've Got Dreams To Remember : Atco 45-6612/1968. 9. 3/R&B-#6, Pop-#41
Hucklebuck

なども録音されていますが、Hucklebuck というのは例の「学校をドロップ・アウトしないように」呼びかけるキャンペーンのための V/A アルバムに収録されたものでした。
I've Got Dreams To Remember のカップリング曲は Nobody's Fault But Mine。

この 1967年は Otis Redding のヨーロッパ・ツアーのライヴ録音が生まれた年でもあります。
3月のヨーロッパ公演から
Respect / Can't Turn You Loose / I've Been Loving You Too Long / My Girl / Shake / Day Tripper / Satisfaction / Fa-Fa-Fa-Fa-Fa / These Arms of Mine / Try A Little Tenderness
などが Volt 33-416 Live In Europe として 1967年 7月10日にリリースされています。
ヨーロッパでライヴ・レコーディングされた Shake ですが、これは以前に述べたように 1967年 4月27日、シングル Volt 45-149 として You Don't Miss Your Water をカップリングに発売され、R&B チャート 16位、Pop チャート 47位を達成しています。
その発売に先駆けて 4月 8〜10日には
Good To Me
Mr. Pitiful
Just One More Day
I'm Depend On You
Ol' Man Trouble
Any Ole Way
Your One and Only Man
Chained and Bound
Papa's Got A Brand New Bag
Security
A Hard Day's Night

などが別なライヴで録音され、1982年に Rhino からリリースされた Otis Redding Recorded Live: Previously Unreleased Performances としてリリースされているようです( Atlantic 33-19346。1982年 3月)。

1967年には、もうひとつのライヴ、Monterey International Pop Festival もまた彼にとっては重要なマイル・ストーンとなりました。
およそ、ソウルあるいは R&B というものにはほぼ馴染みがない、当時のコトバで言う「ヒッピー」が大半を占めるその聴衆たちは Otis Redding にとっては、まったく未知の世界との遭遇だったかもしれません。
そこでは Shake / Respect / I've Been Loving You Too Long / Satisfaction / Try A Little Tenderness が収録され、Reprise 33-2029 Historic Performances Recorded At The Monterey International Pop Festival として 1970年 8月にリリースされています。
このアルバムはご存知のように同じ Monterey International Pop Festival での Jimi Hendrix と背中合わせのアルバムとなっていることから、多くの(普通なら Otis Redding の歌に触れる機会など無さそうな)ロックのファンにも買われて、彼の歌がより広い範囲に浸透することになった、と言うことが出来るかもしれません。

Otis Redding にとって 1967年は、ヨーロッパ・ツアーや the Monterey International Pop Festival などで、実に華やかな年でもありました。
Otisのツアーでバッキングを務める the Bar-Kays にまで Soul Finger というヒットが生まれています。

そして 11月には
The Happy Song ( Dum-Dum): Volt 45-163/1968. 4. 8/R&B-#10, Pop-#25
Hard To Handle: Atco 45-6592/1968. 6.14/R&B-#38, Pop-#51
Amen: Atco 45-6592/1968. 6.14/R&B-#15, Pop-#36
Gone Again: STAX 33-8572 Remember Me/1992. 4.19
I'm A Changed Man: Atco 33-289 Love Man/1969. 6.20
Direct Me: Atco 45-6636/1968.11.11/C. with Papa Got A Brand New Bag
Love Man: Atco 45-6677/1969. 4.28/R&B-#17,Pop-#72
Free Me: Atco 45-6700/1969. 7.15/R&B-#30,Pop-#103
Look At the Girl: Atco 45-6723/1969.11.20
That's A Good Idea: ↑ / ↑
Pounds And Hundreds: STAX 33-8572 Remember Me/1992. 4.19
Johnny's Heartbreak: Atco 45-6742/1970. 3.11
The Match Game: Atco 33-333 Tell the Truth/1970. 7. 1
A Little Time: ↑ / ↑
( Sittin' On ) the Dock of the Bay: Volt 45-157/1968. 1. 8/R&B-#1, Pop-#1

を録音しています。

そして運命の 12月10日、同じホテルに家族で投宿していた妻の Zelma の回想によれば、朝の 8時に呼ばれて行ってみると、どことなく調子が悪そうに見えたそうです。
どこか具合が悪いの?と訊いた Zelma に、いやちょっと疲れてるだけさ、と答え、出掛ける前にちょっと子供たちに声を掛けて行きたい、と言う Otis でしたが、子供たちのなかでもう起きていた 3才になった Otis III だけになにか話かけ、そうしてるうちに部屋までパイロットが迎えに来たのですが、Zelma はちょうど掛かって来ていた電話に応対していたため、出しなに Otis がなにか言ったらしいことは判ったけど、その内容までは判らなかったので受話器を耳元から離して Otis の声に注意してみると、「・・・ねえ、判ったかい?」というようなことを言われたので「えっ?なにが?」と尋くと Otis は「いや、君が気分よく過ごしててくれたら、と思って」と言うので、「あら、なんのこと?わたしならいつもいい気分よ」と返すと「それならいいんだ Zelma、気持ちよく過ごしててくれ」
これが Otis Redding とその妻 Zelma Redding の「最後の会話」・・・

Otis Redding と The Bar-Kays が乗り込んだ双発のビーチクラフト機は Wisconsin 州 Madison の、周囲およそ 21km、最も深いところで 22.6m という Lake Monona に墜落し、天空にひときわ輝いていた大きな星は失われてしまったのでした。
この事故によって Otis Redding とともに、バック・バンド the Bar-kays のメンバー、Ron Caldwell、Carl Cunningham、Phalin Jones、Jimmy King も死亡してしまいます。
─双発のビーチクラフト機が 12月の凍える冷たい水の中に墜落した事故から、ただひとり生き残った the Bar-Kays のトランぺッター Ben Cauley は奇跡的に救出され、その後 1989年の血栓症の危機も乗り越えたのですが、その彼の証言によれば、一行は金曜の夜は Nashville で Vanderbilt の学生のためのライヴを行い、翌土曜夜は Cleveland でのライヴ。
睡眠不足のまま翌日、 1967年12月10日の日曜日の早朝に空港に集まったのは、ほぼ半日を費やしてそこから Wisconsin 州の Madison に飛び、その夜のライヴに出演することになっていたからでした。
パイロットの Richard Fraser、Otis Redding、その付き人の Matt Kelly に the Bar-Kays のメンバー 5人が搭乗したところで、バッテリーの不調からか、エンジンの始動がうまく行かず、地上クルーの助けを借りてプロペラを回してもらうクランキングでエンジンを掛けたそうですが、そのこと自体は低温によるバッテリーの性能低下であって、それがそのまま「墜落事故」に直結するような「強い」原因となりうるものとは思えません(ま、かといってゼッタイに原因とはなり得ない、とも言えませんが)。
そのようないきさつの後、双発のビーチクラフト機はようやく Wisconsin に向かって飛び立ったのでした。
Co-pilot 席には Otis Redding が座り、その Otis のすぐ後ろで背中合わせに Ben Cauley は後ろ向きの席についています。
あまり眠っていなかった Bar-Kays のメンバーはそれぞれの座席で眠り始め、Ben Cauley もいつのまにか眠ってしまったそうですが、機体の異常な振動で目がさめ、乱気流だろうか?と思ったものの、サックスの Phalon を見ると、窓の外を見て「 Oh, Nooo! 」と言ったので、なに?どうした!とシート・ベルトを外して立ったところで機体は水面におよそ 35度の角度で突っ込み(もちろん、そんなこと、中にいる乗員に判るワケはないので、おそらく後からいろいろな証言を聴いて出来上がったイメージだと思いますが)、そこで一瞬、意識を失ったようですが、シート・クッションをフロートがわりにしてなんとか浮上した、と。
この時点では確か、あと二人ほど(キーボードの Caldwell とドラムの Cunningham )が水面に顔を出していたように記憶しているようなのですが、そのとき Caldwell が「助けてくれ」と言ったのに「がんばれ!」と答えたものの、それっきりだったようです。
Cauley 自身も額を強く打っており、左脚には裂傷が出来ていました。
救助された彼には当初、「他に生存者はいない」ことが隠されていたようですが、ついに彼の病室に検死官が訪れ、「君はラッキーだったよ」と言った後で顔を背け、「君はただひとりの生存者だ」と告げたのでした。
Cauley は強いショックを受け、しばらくコトバが出てこなかったそうです・・・
Johnny Jenkins はこの事故を知って、どう思ったのでしょうか?

皮肉にも彼の最期に吹込んだシングルとなってしまった The Dock of the Bay はこの悲劇によってさらに注目され、R&B およびポップスの両チャートで 1位になるという、彼にとっての最大のヒットとなるのです。

そして最後のレコーディングの各曲のリリースに際し、Otis Redding の死後に発売が決定されたものは、The Happy Song を除き、それまでの Volt ではなく、「すべて」 Atco からシングルとしてリリースされたのでした。
Otis Redding の死後、本来ならば彼自身が立ち会って行う、オリジナル・トラックに対する後処理は、主に彼ともっとも長く楽曲に関する作業を共にしてきていた Steve Cropper が、彼ならきっとこうしたハズだ、という「 Otis Sound 」をフルに尊重して行ったそうです。
それとはまた少し違う話ではありますが、今回、Rhino のブックレットに寄せられた回想の中で、もっとも謙虚であったのが Steve Cropper のものでした。
そこには真の RESPECT を感じます・・・

ここで彼の「シングル」を時系列を追って並べておきます。やはり 1960年代の Otis にはそれが一番ふさわしいような気がしますので。
1960 ─
10. ? : She's All Right / Tuff Enough : Trans World 6908/Finer Arts 2016
?. ? : Gettin' Hip / Gamma Lama : Alshire 5082
?. ? : Shout Bamalama / Fat Gal : Confederate 135/Orbit 135

1962 ─
10. ? : These Arms of Mine / Hey Hey Girl : Volt 45-103

1963 ─
6. ? : That's What My Heart Needs / Mary's Little Lamb : Volt 45-109
9. ? : Pain In My Heart / Something Is Worrying Me : Volt 45-112

1964 ─
2. ? : Come To Me / Don't Leave Me This Way : Volt 45-116
4.24 : Security / I Want To Thank You : Volt 45-117
6. ? : Shout Bamalama ( over-dubbed) / Fat Gal : Bethlehem 3083
9.15 : Chained and Bound / Your One and Only Man : Volt 45-121
12.30 : That's How Strong My Love Is / Mr. Pitiful : Volt 45-124

1965 ─
4.19 : I've Been Loving You Too Long / I'm Depending On You : Volt 45-126
8.15 : Respect / Ole Man Trouble : Volt 45-128
11. ? : I Can't Turn You Loose / Just One More Day : Volt 45-130

1966 ─
2.15 : Satisfaction / Any Ole Way : Volt 45-132
5.12 : My Lover's Prayer / Don't Mess With Cupid : Volt 45-136
9. 7 : Fa-Fa-Fa-Fa-Fa / Good Tome : Volt 45-138
11.14 : Try A Little Tenderness / I'm Sick Y'All : Volt 45-141

1967 ─
3.21 : I Love You More Than Words Can Say / Let Me Come On Home : Volt 45-146
4.27 : Shake ( Live) / You Don't Miss Your Water : Volt 45-149
6.30 : Glory of Love / I'm Coming Home : Volt 45-152

1968 ─
1. 8 : Dock of the Bay / Sweet Lorene : Volt 45-157
4. 8 : The Happy Song / Open the Door : Volt 45-163
6.14 : Amen / Hard To Handle : Atco 45-6592
9. 3 : I've Got Dreams To Remember / Nobody's Fault But Me : Atco 45-6612
10.23 : White Christmas / Merry Christmas, Baby : Atco 45-6631
11.11 : Papa Got A Brand New Bag / Direct Me : Atco 45-6636

1969 ─
1.30 : A Love Question / You Made A Man Out of Me : Atco 45-6654
4.28 : Love Man / Can't Turn You Loose : Atco 45-6677
7.15 : Free Me / Higher & Higher : Atco 45-6700
11.20 : Look At the Girl / That's A Good Idea * Atco 45-6723

1970 ─
3.11 : Demonstration / Johnny's Heartbreak : Atco 45-6742
7. 7 : Give Away None of My Love / Snatch A Little Piece : Atco 45-6766

1971 ─
1. 5 : I've Been Loving You Too Long / Try A Little Tenderness : Atco 45-6802

1972 ─
10.23 : My Girl / Good To Me : Atco 45-6907

あと、1976年には White Christmas が再発され、他に例のアンカヴァー・シングル(?) Stone 209、You Left the Water Running / The Otis Jam ってのがリリースされたようです。

また、本文中ではあまりトレースしてませんでしたので、ここで挙げておきますが、Otis と Carla Thomas のデュエットによるシングルは
1967 ─
4.13 : Tramp / Tell It Like It Is : STAX 45-216
7.28 : Knock On Wood / Let Me Be Good To You : STAX 45-228

1968 ─
1.24 : Lovey Dovey / New Year's Resolution : STAX 45-244

1969 ─
4. 2 : When Something Is Wrong With My Baby / Ooh Carla, Ooh Otis : Atco 45-6665

があります。

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